吉原遊郭の歴史がある「吉原」を歩きました。江戸の遊郭にはじまり赤線、現代はソープ街と続く街。一体どのような場所なのでしょうか?
「吉原」。
それは東京の中でも特別な場所です。
江戸時代には幕府公認の吉原遊郭があり多くの遊女が性を売っていました。太平洋戦争の後もその地は赤線として生き残り、現在ではソープランドが並ぶ歓楽街として有名です。
タブー視される街ではあるけれど、ある意味人が奥底に持っている欲求をその時代ごとの形に合わせて現在まで生き残ってきた存在。
そんな吉原を遊郭の歴史を探りながら散歩してみました。
吉原があるのは「千束」。
ここは江戸時代には江戸の街のはずれの地域であり、現在では台東区の東側にあたります。
最寄駅としては三ノ輪駅もしくは南千住駅が近いでしょう。
いずれにせよ東京駅からも30分ほどの距離であり、江戸の外れと言えど、昔は江戸の範囲が狭かったんだなぁと。
吉原があるのは三ノ輪橋駅と浅草とを結ぶ土手通り(都道306号線)の中間くらい。昔は日本堤と呼ばれた土手であり、上を通った道を歩いて江戸の人々は吉原へと通ったそうです。
そして今も昔も目印は「吉原大門」です。
吉原大門の交差点があるのでここを目指すと吉原へ行きやすいのです。
吉原を歩くと気づくのが、黒塗りのバンや高級車がビュンビュンと走っています。これは吉原にあるお店がお客さんのために鶯谷駅や日暮里駅、あるいは上野駅や浅草駅などに送迎しているのです。いわゆる現代の「吉原通い」の光景なのです。
スポンサーリンク
スポンサーリンク
吉原散歩は吉原大門の交差点から始めましょう。
一見するとただの交差点ですが、その周辺を見渡してみると遊郭の歴史の跡がそこかしこに見られるのです。
まずは吉原交差点の横に残る「見返り柳」。
吉原が舞台の作品には必ず出てくるとも言える吉原の名所です。
これが建つのは吉原遊郭の入り口。一晩遊んで翌朝に帰る時、ここから見返ると吉原大門が見えるのです。昨夜の夢見心地を思い出しながら名残惜しそうに見返る旦那衆。そんな光景からこの名前が付きました。
そんな吉原大門の交差点の横には、長い歴史がありそうな2つのお店が並んでいます。
一店目が天ぷらの「伊勢屋」で。
二店目が桜鍋の「中江」です。
どちらともが創業100年を超える伝統あるお店であり、明治以降の吉原遊郭と共に歴史を積み重ねてきたお店なのです。
建物は有形文化財。
黒光りした重厚感のある木造建築は当時の雰囲気そのまま。当時の遊郭の風景がまるで浮かんできそうな年季の入りようで、ここで食べると当時の遊郭にタイムスリップ出来そうです。
特に桜鍋とは馬肉のことであり、精を付ける食材として東京の下町で人気が高まったとされています。まさに吉原ならではのお店なのです。
そんな吉原大門の交差点からメインストリートの「仲之町通り」へと進みます。
しかしここで不自然な曲がり角が。
吉原大門の交差点側から仲之町通りを見ても、中が見えないようになっているのです。
ちょっと地図で見てみましょう。
大通りである「土手通り」から入ると、入り口のところで大きくS字に曲がっていて、中のソープ街(18禁エリア)が見通せないようになっているのです。
もちろんこれは江戸時代の幕府の政策の名残です。
吉原への通い路とされた日本堤の上の街道(現:土手通り)は、多くの人々の往来がありました。さらに東を通るのは五街道のひとつである日光街道(現:吉野通り)です。
いくら唯一の幕府公認の遊郭と言えども、やはり人通りの多い通りからは隠しておきたいという意図があったのです。
この地形の名残によって、今でも大通りである吉野通りから吉原のソープ街を隠すこととなっているのです。
吉原の場所と言えば2つあげられます。一つが今も吉原と呼ばれる「新吉原」。もう一つが元々吉原遊郭があった「元吉原」です。
「元吉原」があったのは今の日本橋人形町とされ、吉原遊郭は江戸時代初期に今の「新吉原」の場所に移転したとされます。
これも江戸幕府の江戸城に近い中心部からできるだけ端の方へと移そうという意図ではありましたが、結果としてこれが吉原遊郭の隆盛へとつながったのです。
さて、この大きなS字カーブを通り抜けるとお待ちかねの吉原が現れます。
吉原大門の跡地があり、昔は遊郭が、今はソープ街がここから始まります。まさにこれこそが吉原への入口なのです。
仲之町通りの両サイドには大店と呼ばれる格式ある遊女屋が並んでいたとされていますが、今でも現代の遊女屋ことソープランドが並んでいるのです。
ちなみに、当時の大店で遊ぶには引手茶屋というお茶屋を通してしか遊べなかったとされていますが、その伝統に従っているのかこの地域には特殊な喫茶店が多くあります。
東京には歓楽街が数多くありますが、江戸時代からの色街の歴史を脈々と受け継がれているのはこの吉原くらいです。
時代は変われど、人の根本的な欲求は変わらないものなんですね。
ソープランドと喫茶店が立ち並ぶ仲之町通りを歩いて反対側までやってきました。
言わば、吉原遊郭の裏門に位置する場所なのですが、当時にあった裏門は通常は開かずの門であり、火災などの非常時と鷲神社での酉の市の時だけ開かれていたそうです。
そして、やはり吉原への入り口は、S字カーブになっている。
この脇には、吉原遊郭の鎮守として建てられた吉原神社があります。
さて、このように長い歴史に渡り人々の欲望を背負ってきた吉原を歩いてきたのですが、吉原と言えばこの人は欠かせません。
五千円札の樋口一葉さんです。
代表作の「たけくらべ」は明治初期のこの吉原遊郭周りでの暮らしが描かれています。
遊郭に住む少女美登利と、僧侶の息子信如を中心とした少年少女の儚い恋物語なのですが、ある時美登利がその少年少女の集団から抜けてしまいます。美登利の身になにがあったのか。当時の遊郭の住民の悲喜こもごもが描かれている作品です。
そんな作品を書いた樋口一葉の記念館があります。
そして、江戸の町人文化で忘れてはいけないのが鷲神社(おおとり神社)です。
江戸最大の酉の市が行われた社であり、その酉の市は現在でも大いに賑わいます。
おかめやんがいるので、撫でておきましょう。
江戸時代からの人々の欲望を飲み込んできた街「吉原」。
特殊な街ではありますが、その特殊さはある種の閉鎖性となり江戸や明治の空気感を今でも残しているような気がしました。下町文化に触れるにはぜひ訪れておきたい街です。
スポンサーリンク