ドヤ街「山谷」。労働者の街で簡易宿泊所が並びましたが、現在はバックパッカーの街へと変わりつあります。そんな山谷の行き方と治安を紹介します。
東京都唯一のドヤ街「山谷」。
日雇い労働者が肩を寄せ合って暮らしていたこの街は、その治安の悪さから「東京のスラム街」とも呼ばれて有名でした。
しかし、そんな労働者も高齢化が進むこの頃。彼等が住んだ簡易宿所(ドヤ)も外国人バックパッカー向けのホテルと姿を変えつつあるとされています。
はたして現在の山谷はどのようになっているのか?
そんな山谷を歩いてみました。
山谷があるのは東京の東。台東区の東側です。
浅草の北、南千住の南にあります。
JR南千住駅から南へと延びる吉野通り(都道464号)の両側の簡易宿泊所が多く集まるこの一帯を「山谷」と呼んだのです。
特に、泪橋の交差点から、東浅草二丁目の交差点の間が日雇い労働者が多く住んでいる場所であり、簡易宿泊所の他にも食堂や酒場、ボランティアを行う団体の建物や福祉施設などが多く集まっているのです。
消えた山谷という住所 ちなみに「山谷」という住所は現在はありません。やはりイメージ的なものでしょうか。この地域は今では「清川」「日本堤」「東浅草」という住所になっているのです。
山谷へは南千住駅からが最も行きやすいです。
どこかきな臭い雰囲気があったこの地域も今では再開発が進み、新しい駅舎と高層マンションが建ち並んでいます。都心部ともほど近く人気の街となっているのです。
しかし、山谷地区はそんな駅から歩いてわずか10分くらいの場所。
駅の南側、貨物線の線路に架かる跨線橋を渡り「吉野通り」を真っ直ぐ歩くとすぐそこです。
明治通りと交わる「泪橋」の交差点が目印です。
この辺りから空気感が変わってくるのです。
一見すると下町型の密集した住宅街なのですが、道の隅々が薄汚れた感じがしてどこか酸っぱい臭いが漂ってくるのです。そして、通りをうろつく労働者のおっちゃん達の姿を見かけるようになったらそこはもう山谷地区なのです。
月極ロッカーがあるのも山谷の特徴。
家を持たない人々の生活品はここに置かれるのです。
そして表通りから一歩入った裏道に入ると山谷の雰囲気は一層濃くなり、山谷「ドヤ街」の名前の元になった簡易宿泊所が並んでいます。
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「ドヤ」とは「宿(ヤド)」の逆さことばである。
山谷に多くある簡易宿所は元々は戦後から高度成長期において必要となった労働力、すなわち建設工事や道路工事に従事する日雇い労働者が宿泊(居住)しておりました。
しかしこの簡易宿所は雨露をしのぐためのもので、薄暗く蒲団だけを敷けるような小さな部屋の本当に質素な宿。
宿(やど)を「人が住むところではない」と自嘲的に逆さまに読んだのが始まり
日雇い労働とは3K(汚い、きつい、危険)の代表のような仕事であり、今風に言うならば超ブラックな仕事だったわけです。
荒っぽい人たちも多いですし人集めの暴力団組織や労働闘争の左翼活動家が入り込み、それこそ山谷はカオスで危険な地域だったわけです。
暴動も何度か発生していて、警備のための日本堤交番は交番とは思えない大きなマンモス交番と呼ばれていました。
しかし、時代は変わります。
しかしそんな高度成長期は過ぎ、荒っぽい日雇い労働者も高齢者となっています。
そしてこの街の問題も
「暴動」や「治安の悪さ」から「貧困」と「高齢者福祉」
へと姿を変えています。
街を歩いてみても、そこに感じるのは行く当てのない高齢化でした。
やはり酒は切っても切り離せないのか、街中には酒屋の看板を多く見かけ、道路ではビールケースの上にベニヤ板を重ねた簡易酒場での宴会がひらかれていました。
どす黒い肌に、ほぼ歯が抜けてしまった口でニカッと笑いながらかつての日雇い労働者の人たちが宴会をしている様子は印象的でした。
衝撃的だったのが、道端なのにダンボールを並べその上に蒲団を敷いて寝ていた高齢の男性が居たことです。発展途上の外国では見たことがあるけど、日本ではなかなか見かけないものです。
この山谷と大阪のあいりん地区(釜ヶ崎)、そして横浜の寿町とが日本の3大ドヤ街と呼ばれています。そしてどれもが高齢化の問題を抱えています。先日、あいりん地区で行き倒れのニュースがありましたが、これらの街どれもが共通して抱える問題だと思います。
縦に走っているのが「吉野通り(都道464号)」で、これが車の往来も多い大通り。北端が泪橋の交差点がある「明治通り」で、南端が「アサヒ会通り」と考えると良いでしょう。
一般的に行きやすいのがやはり「いろは会商店街」。
山谷にある商店街ということで、お店の並びや買い物している人など独特の雰囲気を感じられるでしょう。
山谷が舞台である「あしたのジョー」とタイアップしたり、孤独のグルメのお店があったりもします。
ひっそりとしたアーケード街。そしてスピーカーから流れる音楽に、他の商店街とは違った空気感に満ちています。
そして、そのいろは会商店街を抜けて反対側の土手通りまで出るとそこにあるのは吉原です。
江戸の吉原遊郭から続くこのエリアは。山谷と共に東京の意味深い街としての性質があります。
タブーな街でもありますが、歴史的な史跡も多く散歩にも適しています。
一方、吉野通りを挟んで東側にあるのが「福祉プラザ」に「玉姫公園」
これぞ山谷という光景を見られるのです。
さて、そのように変化している山谷なのですが、治安はどのようなものでしょうか。
以前は暴動が起こったり覚醒剤取引の噂があるなどの東京でも危険な街とされていました。しかし近年は上記のように街の雰囲気がだいぶ変わってきました。
ちょっと山谷の治安を統計的なところから見てみます。
・犯罪の発生数、発生率ともに低くはないが、そこまで高くもない
・粗暴犯、万引き、自転車盗が多い
・圧倒的に男の街。男女比で男性が女性の倍くらい
このような特徴がありました。
正直な感想としては、思った以上に犯罪発生の数は少なくて驚きました。
台東区は治安が悪い区の上位なので、これは山谷地区があるからかなと思っていたのですが、これはどうも予想が違うようです。
統計的にみると治安はそこまで悪くはないのですが、街を実際に歩いて感じるのは、やはりドヤ街の雰囲気です。
道路で酒盛りが始まっていたり、道の端っこはすえた臭いがしたりと、まあ他の街ではなかなか見かけない街かどですよね。
超危険な街というわけではないのですが、裏道をひとりで歩くこと、特に女性の独り歩きは、ちょっと怖いかなぁという印象がしました。
表通りである吉野通りを歩くぶんには大丈夫だと思うのですが、裏道に入る際には注意してくださいね。
また、近年の山谷はバックパッカーの街として知名度を上げています。
日本にバックパッカーとして訪れた外国人の旅行者達は少しでも安い宿を求めています。そんな時に白羽の矢を立ったのが、山谷の簡易宿所です。
ドヤと揶揄されていようが、そこは日本の宿泊施設。清潔感は担保されているのです。バックパッカーの人たちは日中はほとんど外を歩き回っているし、夜に落ち着いて眠ることが出来る空間さえあれば良いのです。
これらのことから近年、山谷のドヤはバックパッカー向けに改装したり朝食サービスを行うなどしています。また、ビジネス客や就活のため上京する人たちにとっても使いやすいものとなっています。
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