高度成長期の日雇い労働者の活気があったいろは会商店街も今やちょっと寂れちゃった感じもします。明日のジョーとのタイアップ。そんな山谷を散歩します。
ドヤ街「山谷」にある商店街が「いろは会商店街」。
アーケード型の約300mの商店街は一見すると普通なのですが、そこはやはり山谷という特殊な街の商店街です。
山谷で生きる日雇い労働者の人たち向けのお店があります。
例えばメンズウエアのお店。
日常服である作業着的なものから、ジャンパーなどの防寒着。肌着や靴下など。このお店なら労務者ファッションが一揃えです。
例えば日用品のお店。
ドヤ(簡易宿所)の部屋に置くことが出来るちょっとした家具や雑貨。それに電化製品が売っています。
お店の商品は無造作に並んでいて、整頓されているとは言えないのですが、驚くのは価格の安さ。正直、新品か中古か分からないくらいではあったのですが、他の街では見かけないくらいの価格で売られてました。
ちょうど労務者風のおっちゃんがお店の前で物色していました。ここから手頃なものを選び出して部屋に並べるのでしょうね。
さて、このように「いろは会商店街」は労働者の街「山谷」の商店街として機能しているのです。
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孤独のグルメの一話目で五郎さんが迷い込んでしまったのがこの通りですし、あの話に出てきたブタダブリ(ぶた肉と豚汁)の定食屋さんもあります。
安さ、量、店じゃない家のような感じ。お客の労務者のおっちゃん達と、五郎さんはその雰囲気に戸惑ってましたが、これこそがまさにならではのものです。
持ち帰りのお客も多いとのことは、ドヤの部屋に持って帰って、ワンカップ片手に食べるからなのでしょうね。
テイクアウトはやはり重視されるらしく、安い弁当屋さんなどもあります。
薬局を見かけたり。
持ち物の保管場所としてのコインロッカーを多く見かけました。
このように、いろは会商店街は山谷のドヤに住む日雇い労働者の人たちの生活を支えるような商店街であり、その生活を体現しているような商店街と言えるでしょう。
このようないろは会商店街なのですが、お世辞にも活気があるとは言えません。
もしかしたら時間帯のせいなのかもしれませんが、この商店街で買い物をしている人たちはぽつりぽつりとしか見かけず、ただただ長いアーケードはしーんとしていました。
建物は年季が入りうらぶれていて、すっかり地方のシャッター通りの様相。
かつての山谷は良くも悪くも日雇い労働者で溢れていたのでしょうが、今は高齢化と不景気の波とですっかり廃れた雰囲気です。
東京近辺は人口の多さからかまだまだ活気ある商店街が生き残っているので、このシャッター通りの光景は目新しさと共に、どことない寂しさを感じました。
さて、このようないろは会商店街ですが、やたらと目に入ってくるのはあしたのジョーのイラスト。
これらは、あしたのジョーの舞台がこの山谷だったことによるタイアップなのです。
特に重要なのが商店街の北東側にある、明治通りと吉野通りとの交差点のところにある泪橋で、この橋の下にジョーのジムがあったという設定なのです。
いろは会商店街の土手通り側には矢吹ジョー像もあります。
作中に登場する「泪橋を逆に渡る」というフレーズは拳一つでどん底から這い上がり明日の栄光を目指すというこの作品のテーマを示している
あしたのジョーの連載は1968年からはじまっているのですが、これはまさに高度成長期であり、ジョーが拳一つで山谷から世界チャンピオンへと成り上がっていく話は、戦後の何もないところから世界有数の経済大国へとなった当時の日本の姿だったり、学生運動の体制側へ立ち向かう姿なりと重なり多くの人々の共感を得て大ヒットしたとされています。
まさに当時の空気感を体現した作品であり、その舞台が山谷であることは必要なことだったのでしょう。
高度成長期の下支えする存在でありつつも、抑圧された存在。
こういう人達がまだまだ身近な、そういう時代だったんじゃないかなと思います。
時代は流れ、日本は高度成長期を抜け、バブル崩壊からの失われた20年へと突入しました。今やグローバル化とオートメーション化の流れで山谷自体が役割を終えつつあります。
ジョーはどこを向いているのでしょう。
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