下町的な居酒屋タウンの赤羽は、密集した住宅地が広がっているイメージがあります。
しかし、赤羽駅の西側を奥に進むと、急に現れる高台エリア。
そう。この高台こそが赤羽台と呼ばれる、巨大な団地群が広がる一帯なのです。
赤羽駅の周辺は、基本的には低層住宅や雑居ビルが広がる密集した住宅街です。特に街の北側には埼玉県との県境である荒川が流れているという、本当に低地帯です。
しかし一方で、街の西側は高台です。そしてそこに広がるのが赤羽台団地と桐ヶ丘団地。
高度経済成長期の真っ只中に出来たこれらの大規模団集合住宅は、都内でも最初の頃に建てられた、まさに団地の走りと言える建物なのです。
団地という建物ってどことなく魅力がありますよね。
一見無機質な巨大なコンクリート箱だけれども、そこには多くの人々の生活がある。そして、それを支えるためにその時代の技術を結集させて機能的に造られている。
世の中には団地マニアと呼ばれるような団地を愛好する人達が居るわけだけど、そのようなマニアの間でも人気のある団地の一つがこの赤羽台団地です。
と言うのも、この赤羽台団地は東京23区で初の大規模団地であり、集合住宅の初期形態と呼べるような意匠が詰まっているのです。
住宅とその下には買い物が出来る商店街。
これは通路側なのか、居室側なのか。
今ではなかなか見ないデザインです。
剥き出しとなっている非常階段。たしかに、火災時には有用でありそうだが。
そして、スターハウス。
景色にポイントを作るために建てられたものであるが、形状の複雑さからコストが上がり、この後は衰退していってしまうのです。
このようにまさに生活文化遺産と呼べるような赤羽台団地であります。
しかし、なにしろこれらが建てられたのは1962年。相当年季が入り込み、住人の高齢化と共に、相当くたびれ感が目立っていました。
昔は活気で溢れたであろう団地1階の商店街ももはやシャッター通りです。
都営桐ヶ丘アパートにあった公園はすっかり静まり返り、時間だけがただ流れて行くような午後でした。
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さて、このように年季が入った赤羽の団地群ですが、一方で新しい建物への建て替えが進んでいます。
その名もヌーヴェル赤羽台です。
建て替えられた若い建物は、新しい集合住宅の形であり、赤羽台団地が出来た1962年からの半世紀の進化です。
建物はより巨大なものになり、デザインもカラフルで洗練されたものとなっているこの街区。
買い物エリアは健在で、元々あったような個人商店もスーパーマーケットやファミリーレストランに紛れ込むように存在しています。
ここに住み始めた新しい住民も増え始め、この新しい団地エリアの平均年齢は、周りよりも圧倒的に低いです。
このように23区で初めての赤羽台団地は、集合住宅のクロニクルを見ているかのように、新しく進化しています。
近年には東洋大学の新しいキャンパスも誘致され、今までとはちょっと違う空気が流れ始めた赤羽台。新しい住宅と共にどのような姿になっていくのでしょうか。
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