生麦にある鶴見線国道駅は強烈です。ガード下の居酒屋に仄暗いトイレに機銃掃射の弾痕。昭和の空気が残っています。
国道駅は鶴見線の駅なのですがとても印象的な駅です。
というのも、国道駅は開業した昭和5年(1930年)そのままの姿を残しているのです。
昭和5年と言えば、今からおよそ87年前。まだ第二次世界大戦が始まる前で、東京が関東大震災から復興を遂げた頃。
そんな混沌とした時代の駅とガード下が今の時代に残っているのです。
国道駅は、一見するとどこにでもある普通の高架型の駅となっています。
鶴見線の相対式のプラットホームが高架にあります。鶴見線は3両の短い編成なのでホームも短いこじんまりとした駅なのです。
地上階には改札施設があります。
とは言え、国道駅は無人駅なので駅員さんが居る駅事務所などはなく、ただSuicaの簡易改札機があるのみ。
1日の乗車人数は1500人ほど(2008年)と、東京近郊の市街地の駅とは思えないほどの少さなさです。隣の鶴見駅が8万人以上なのを考えると、この駅のローカルさを実感出来るでしょう。
しかし、無人駅で人影もまばらなこの駅だからこそ、まるで昭和時代にタイムスリップしたような感覚を味わえるのです。
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それでは改札をして、鶴見線ホームへと向かいましょう。
階段の途中には、上り側と下り側のホームをつなぐ空中通路があります。なかなか見ない造りです。
国道駅は鶴見駅からの大きなカーブの間にあるので、ホームも大きく婉曲しています。
なので、鶴見線が入ってくる時はカンカンカンと踏切と同じ警告音が鳴り響きます。
短い車両がゆっくりガタガタとガードを渡ります。その音を聞いているとまるで昔の車両が入ってきたような錯覚になります。
ちなみに鶴見線は1996年まで戦前に造られた茶色の車両が使われていたので、車両までもが昭和の空気をそのまま残していたのです。
しかし、本当に空気が昭和だったのはガード下でした。
鶴見線の線路の下には、ガード下への入り口がまるでタイムスリップのトンネルのように続いています。
ここはおそらく当時と同じままだと思います。
東京近郊にある、工場地帯に近い人々の生活が蘇ってきそうなくらい。
通路には住宅らしき玄関もあり、外からみると窓もあるまさしくガード下の住宅です。
この鶴見線は元々は国鉄ではなく鶴見臨港鉄道という私鉄の路線でした。鉄道と不動産開発とを一緒に行なうのが私鉄の定石ですが、まさにここは駅チカの住宅物件として売り出されたのかもしれません。
それにしても、この住宅の中はどうなっているのだろうか?上を電車が通る時にはガダゴトと家全体が揺れる昔ながらのガード下の住宅なのでしょう。
工場で働く人に通勤便利な住宅地をこのエリアに作ることを鶴見臨港鉄道は目論んでいたのかもしれませんね。
しかし鶴見臨海鉄道はその後、戦時の国家総動員法による買収によって国有化されます。
この戦時買収は電報で呼び出された後、有無を言わせず書類に押印を強要されるという極めて強制的なものだったそうです。
鶴見線の他にも、同じく私鉄路線だった南武線も併せて買収されたということで、やはり工場地帯であるこの地域の戦略的重要性に基いてのことなのでしょう。
そして、国道駅にはそんな戦争の時代の遺産も残っています。
駅への入り口の右側の壁。
ここには米軍戦闘機による機銃掃射の弾痕跡がそのまま残っているのです。
機銃掃射の描写は戦争映画などでもありますが、コンクリートに残るこれだけの弾痕跡を見て、あらためてその怖さを実感します。
「ハチの巣」とよく言いますが、これが人体だったら、、、、。
やはり嫌なものです。
このような昭和時代の遺構が見られるのがこの国道駅です。
博物館や資料などで当時の歴史に見ることはありますが、その当時の空気を生活感ごと今に伝えるのがこの駅なのです。
そして公衆便所も。
いつの間にか「駅のトイレ」と呼ばれるようになった駅のトイレですが、昔は「公衆便所」だったなぁ。
そんな昭和時代の臭いまで漂ってきそうな国道駅。
どんどん遠くなっていく時代の雑踏をそのまま感じられる駅なのでした。
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