津田沼駅周辺は津田沼戦争と呼ばれたほどの巨大ショッピングセンターの競争が激しい街。日常的な買い物に便利でしょう。
津田沼駅周辺の地図を見てみて驚くことは、なんと言っても巨大ショッピングセンターが密集していることです。
駅前には、こんなショッピングセンターがあります。
津田沼駅北口前には、大きなパルコ津田沼店が。
京成線の新津田沼駅の前には巨大なイオンモールが。
その向かいにはライバル7&iのイトーヨーカ堂。
ユニクロのファーストリテイリングが運営するミーナ津田沼も。
さらに、千葉工業大学のキャンパスがあり、広々とした津田沼駅南口側にはヤマダ電機などのテナントが入るモリシア津田沼。
再開発でマンションが並ぶ奏の杜地区には、奏の杜forteがあります。
このように、津田沼駅周辺は都市型・郊外型問わず巨大なショッピングセンターが立ち並んでいる街なのです。
商業施設が競争を繰り広げている街は複数ありますが、特に都市型のファッションビルと郊外型のショッピングモールとが激しい競争をしている街は東京近郊でもなかなか無く、これは津田沼ならではの光景だと思います。
そしてこの各店舗間の競争は、その激しさから「津田沼戦争」とも呼ばています。
では、そんな津田沼駅周辺のショッピングセンター競争について見てみましょう。
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まず、津田沼がショッピングセンターの激戦区としての火蓋が切って落とされたのは1977年の頃です。
当時、高度成長期を終えて人々の生活は、質と効率化へと向かいます。
津田沼で最初に進出してきたのは、消費に文化という概念を取り入れたファッションビルの「パルコ」。
これにGMS(総合スーパー)の雄「イトーヨーカ堂」、大量消費の代名詞「ダイエー」に、伝統の百貨店「高島屋」が続きます。
さらに、地元資本の商業施設なども出来上がり、まさに戦国時代の群雄割拠といった様相でした。
しかし、こうなると資本や競争力が弱かったりすると勝ち目はありません。
1978年 サンポーと扇屋ジャスコ 閉鎖
1979年 長崎屋 撤退
1985年 西友 食品売場以外をパルコへ
1988年 高島屋 撤退
このように競争の自然淘汰が行われて、強い力のある者だけが生き残りました。
時代はGMS(総合スーパー)の時代です。
コンビニを導入し、流通の王者になりつつあったイトーヨーカ堂。そして、大量消費のダイエーの二強が雌雄を決する状態となったのです。
しかし、ダイエーはバブル時代の投資の失敗でしょうか。あるいは、コンビニ仕込みの商品管理を行うイトーヨーカ堂が強かったのでしょうか。
ダイエーも2005年に営業を終えることになります。
さて、そんなダイエーに代わるように津田沼に出店したのが巨大なイオンです。
さらに、ダイエーの跡地は様々なテナントが入るモリシアへと変わりました。
そう。津田沼駅周辺もショッピングセンターの時代へと移りました。
各商業施設は、専門店のテナントが並ぶショッピングセンターが主流になっております。
さらには、専門店であるユニクロ発のショッピングセンター「ミーナ津田沼」や、再開発に伴う「奏の杜forte」も出来たりして、まさにショッピングセンターが乱立している様相となっています。
一方で商圏を広げてみると、近隣の沿線には超巨大モールが乱立しています。
例えば、海浜幕張にはイオンモール幕張新都心やコストコが。
南船橋には、ららぽーとTokyo-BayやIKEAがあります。
これら新しいショッピングセンターの魅力は、まさに買い物のためのテーマパーク。
何もかもがネットで買える時代、リアルな店舗での買い物にはレジャー要素のある超巨大モールの方が人気があるのです。
良くも悪くも旧来のサイズ感である津田沼駅周辺の商業施設だと、やや客足が遠のいている感が否めません。
しかし、スーパーも充実しているし、普段の日常的な買い物はこれくらいの方が丁度良かったりもします。
巨大モールと、旧来のショッピングんセンターも使い分けが大切ですね。
と、このように時代時代の流通小売業の流行り廃りを写してきたような津田沼駅周辺。これからもその時代の買い物事情を反映していくことでしょう。
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