さて、護国寺の住宅と住民の状況です。
護国寺は住宅地の街で、街のほとんどが住宅街です。
護国寺から真っ直ぐ伸びる音羽通りを谷底として、
その両側に、目白台と学園キャンパスのある高台になっています。
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護国寺の始まりは、やっぱ護国寺です。
護国寺は将軍家とゆかりの深い寺であり、
その前の音羽地区も、元々は護国寺の寺社領だったのですが、
やっぱ将軍家のお寺だったせいか、中々人が入らなかったのです。
そのため、この地域は、将軍綱吉の母、桂昌院の奥女中であった、
「音羽」にこの地が与えられたんですね。
それで、「音羽町」。
一方、目白台と、お茶の水女子大などのある高台は、
高台の例によって、お屋敷町でした。
お茶の水女子大は安藤長門守屋敷だったし、
東大病院分院跡は松平家やし。
といった感じです。
護国寺地域の東側である、雑司ヶ谷地域が、
将軍の鷹場だったなど、将軍がよくこの地に来てたなど、
やはり、由緒正しい土地柄のようです。
さて、低い地域である音羽地区です。
ここのメインストリートの音羽通りには、
講談社の社屋が、まるで主のように建っています。
この建物の雰囲気、、、最初見た時は、
どこかの宗教団体の建物かと思っちゃいましたよ。
いや、音羽通りの異様な真っ直ぐさと相まって、
どこかの社会主義国の雰囲気でしたよ。
この地域は、出版社や印刷会社が多く集まっていた
地域ということで、音羽通り沿いには、
今でも、音羽グループの会社が多くあります。
住宅街としては、表通りの裏側に入ると
密集型の住宅や、マンション・アパートなどが
ある地域です。
裏側の、お茶の水女子大のキャンパスがある
大塚地域とは、高低差があります。
後ろの高台に建っているのは、
「音羽ハウス」という高級マンションで、
年季は入っているけれども、その落ち着いた佇まいは、
非常に住環境が良さそうです。
崖の下から見上げる音羽ハウスの図。
一方、音羽通りを挟んで反対側は、
目白台の住宅地となっています。
こちらもやはり、ぐぐっと坂を登っていくんですね。
坂を登り切った所にあるのが、東大病院分院跡。
この周辺には、閑静な住宅街が広がっています。
ただ、目白台という名前からか、高級住宅街が
広がっていると思っていたのですが、
密集型の住宅が多いんですね。
ただ、停まっている車が高級車だったり、
するのを見ると、やはり、高額所得者が多いんじゃないか
とも思います。
歩いてみたのが、丁度、平日の夕方だったのですが、
幼稚園に子供を迎えに来たお母さん達が、
自転車で脇をすり抜けて行ったり、
図書館や公園でママさん会議をしているのを
見ると、庶民感はあるけれども、教育にはしっかりと
力を入れたい層が多いのかと思います。
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