最近、池袋を取り巻く雰囲気が変わってきてる感じがします。
で、池袋を舞台にしたコンテンツを見たくなったのですが、池袋と言えば「池袋ウエストゲートパーク」です。これを読めば2000年前後の池袋の雰囲気を思い出させてくれるんじゃないかなと思い、早速手に取りました。
ドラマ版は熱心に観てたけど、小説版は初めてです。
「ぶくろサイコー!!」
スポンサーリンク
スポンサーリンク
「(小説版)池袋ウエストゲートパーク」はシリーズ物になっていて何冊も出版されているけど、とりあえずドラマ化の原作にもなったシリーズ最初の文庫を読んでみました。
ちょっと感想とかを。
発行年度は1998年なので、描かれている舞台は今から15年以上前のだいぶ昔の池袋です。とは言っても出てくる建物や公園名、通りの名前などは今と同じだったりするので、その場面が池袋のどこなのかをすぐにイメージすることが出来ました。
他の街、例えば六本木や渋谷とかだと新しい大きなビルが出来たりして当時とは街の地形が変わっちゃってたりするのですが、池袋はあまり大きな開発計画がなかったのか街の形としては昔のままなんですね。せいぜいテナントの入れ替えがあっただけで、駅の東西には巨大百貨店があって、東口の方にはサンシャインがあるという伝統的な池袋の地形はそのままなんです。
G-Boysのキングことタカシや、ブラックエンジェルスのリーダー京一といった、いわゆるカリスマ的な存在です。
そういえば当時は、「カリスマ」がもてはやされていて、歌手、美容師、高校生などあらゆる分野にカリスマが居ましたよね。タカシも京一も腕っ節が強いだけでなくて、頭の回転が早くて、なによりも情報の扱いに慣れていてそれを力の源泉をもって各ヒエラルキーのトップに位置しています。
主人公のマコトも、タカシと友達だし、京一とも顔見知り、さらには大人のヒエラルキーである池袋警察署の署長と幼なじみだったりして、情報のハブであることが、その力の源泉なんじゃないかなと思います。
現代のカリスマ的存在が無くなりつつあるのは、Web社会やSNSコミュニケーションによって、各ヒエラルキーの分化が進んだり、情報を握っていることの優位性が少なくなっているんじゃないかなぁ。
ギャル文化やカラーギャングといった広義の意味でのアグレッシブ(攻撃的)な雰囲気が池袋に漂っていたということです。小説の中だけじゃなくて、実際にもカラーギャングが池袋のストリートに陣取り、ファッションとしても茶髪、日焼け、スケボーファッションといったアグレッシブな雰囲気でした。
さらに物語の中で、作戦のためにマコト達が秋葉原に買い出しに行くのですが、そこでのオタク的な雰囲気描写が池袋のアグレッシブ雰囲気との対比を浮かび上がらせています。
その頃から20年近くが経って、池袋がまさか腐女子の聖地として秋葉原と並ぶようなオタク的な街となって、さらには若者文化のメインストリームにオタク文化が躍り出てきたことで池袋が若者に人気の街となるようになってくるとはね。
でもオタク的なグループである、マコトとその友達グループの「あきれたグループ」が、リアルのカラーギャングややくざ等の争いを解決していくカタチは、今の情報技術がリアルを駆逐していく様を示唆していたかもね。
シリーズの続編だと2010年頃の池袋も描かれてるぽいので、その変化も楽しみながら続きも読んでみよう。
スポンサーリンク